よこはま物語 その1
この写真は今から35年以上前に撮影された「根岸フレンドシップデー」のものです。日米親善・地域親交を目的として1984年から毎年行われた、米軍施設を一般開放するイベントです。(現在は米軍施設・住宅がなくなってしまったため、行われておりません。)アメリカンフードの出店や吹奏楽演奏やアメリカンな消防車の展示など、ごく普通のお祭りでしたが、米軍の家族とのちょっとした交流を通じ、アメリカを垣間見た気分になれたものです。
写真の奥に聳え立つ建物は、根岸競馬場の名で親しまれてきた横浜競馬場の旧一等馬見所です。1923年の関東大震災の後、1929年に木造からの大規模な改築が始まり、1934年にこの写真奥にちょっとだけ見えるエレベーター塔が完成しました。現在は、この写真の中のスタンド席とその上の鉄骨屋根、さらにその上の貴賓室も撤去され、ほとんど3基のエレベーター塔だけが残る廃墟になってしまい、寂しい限りです。
そもそも横浜市中区には江戸時代から外国人居留地が多くあり、1866年にイギリス人を中心とした横濱レース倶楽部ができ、この横浜競馬場で競馬が開催されるようになりました。その後1880年に日本レース・クラブに改められ、宮家や明治政府の要人・財界人が会員になると、その年から明治天皇下賜の花瓶を賞品にした「The Mikado’s Vase」(現在の天皇賞のルーツ)が始まり、「鹿鳴館外交」と呼ばれる外交政策のための重要な場所となりました。競馬場もゴルフ場もなくなり、米軍施設・住宅もなくなった現在は、根岸森林公園・根岸競馬記念公苑として庶民の憩いの場所になっています。
これも同じ年に撮影された根岸米軍施設内にある将校クラブ内の一コマです。
根岸米軍住宅地区の写真です。現在はここに高級分譲住宅やマンションが建ち並び、ユーミンの「海を見ていた午後」に出てくる「山手のドルフィン」(1969年開店)からの景色は全く変わってしまいました。僕は学校が歩いて10分ほどのところだったので、中高生の間、幾度となく学校帰りにドルフィンに立ち寄ったものでした。その当時は木造の平屋でしたが、テラスから根岸の石油コンビナートがしっかり見えたものです。(歌詞に出てくる三浦岬までは見えなかったと思いますが)。因みに現在あるドルフィンソーダ(メロンソーダ)は当時メニューになかったので、ユーミンはきっとスパークリングウォーターかジンジャエールを飲んでたのでは・・・(※個人的な想像です)