よこはま物語その22
1960年代から1980年代にかけて横浜一のディープな繁華街として栄えたのが福富町です。
伊勢佐木町通りの裏にあり、福富町東通・仲通・西通の3本が伊勢佐木町通りと平行に走っています。
1983年の最盛期には西通を中心にトルコ風呂(現ソープランド)が24軒、仲通を中心にバー・クラブが38店、グランドキャバレーが9店ありました。
西通から東通に通じるメインストリートにはその頃、稲川会系林一家の事務所があり、福富町は林一家のシマ(縄張り)でした。
しかし神奈川県の暴力団排除特別強化地域に指定され、林一家の事務所もなくなり、今や福富町はほとんど韓国系やタイ・ベトナム系のお店になってしまいました。
米軍のかまぼこ兵舎
終戦後、この福富町エリアも焼野原になってしまい、そこに米軍のかまぼこ兵舎という半円筒形の組立て式兵舎がたくさん建てられ、当たり前のように、曙町、弥生町、末吉町、黄金町と同様、福富町にも米軍相手のもぐりの風俗店がどんどんできるようになりました。
そして1966年頃から福富町西通を中心にトルコ風呂が次々と開業しました。
その理由は、福富町がトルコ風呂の営業禁止除外区域に指定されたからです。
同時にバー・クラブ、グランドキャバレーも立ち並ぶようになり、横浜最大の繁華街になっていったのです。
余談ですが、ソープランドが何故最初トルコ風呂と命名されたかというと、1679年ロンドンに「ロイヤル・バーニー」という風呂屋(イスラム圏の公衆浴場ハンマーム風)がオープンしました。
ここの経営者はトルコ人で、「浴場とトルコ・コーヒー」という東洋文化が味わえる異空間を提供して話題になり、その後18世紀後半までに、30軒近くの「トルコ風浴場」がロンドンにできました。
ですがロイヤル・バーニーのような普通の浴場ではなかなか経営が難しく、ほとんどが売春宿になったのです。
その話が元となり、「トルコ風呂」と命名されたと言われています。
ところが1984年、日本に来ていたトルコ人留学生のヌスレット・サンジャクリさんが厚生省に名称変更を訴えました。
これがマスコミを動かす大きな運動になっていき、その年の12月19日「ソープランド」に改称されたのです。
そんなソープや韓国系、タイ・ベトナム系のお店が立ち並ぶメインストリートで、今も屹然と営業しているバーがあります。
福富町のバー クライスラー
西通からメインストリートを歩いてくると、スコットランドのキルトを着用したバグパイプ隊士と黄色い吊り看板が見えてきます。
1950年5月5日開業のバー クライスラーです。
まったく変わっていません!
古くて急な階段を上り、
重ためのドアを開けると、
昭和から時間が止まった世界が広がります。
天井の高さにビックリしますよ!
ボトル棚の中央に「FOUNDED1950」と彫ってある看板が見えます。
野毛の「山荘」よりも古いです。それもまったく変わらずに。
テーブル席横の棚には所狭しと様々の形をした世界中のオールドボトルが並んでいます。
ここにもジュークボックスがありました。
ここのチーズピザもアポロに負けないくらい美味しいですよ!
クライスラー50周年記念ウイスキー「多謝」。
約25年前にこの値段ですから、今はもっと高いでしょう。
カウンターに座ると、このブーツ型グラスで飲めます。ウイスキーだけですが。
クライスラーのオーナー安藤嘉章さんは2008年に亡くなられました。
「日本ハーレー・ダビッドソン協会」の名誉会長でもあった粋人でした。