よこはま物語 その16

  • Jul 30, 2024
  • Daisuke Kobayashi

野毛のBAR「papa john」

前回「よこはま物語 その15」の最後に紹介した島村秀二さんは、元町のディスコ「アストロ」のオープン当初からバーテンダー兼フロアマネージャー兼バンド責任者を任されていました。

音楽に非常に詳しい人で、前回紹介したアストロのバンドは島村さんがすべて決めていました。

「音楽を一生懸命やっている奴に悪い奴はいない」というのが島村さんの口癖でした。

そんな島村さんがアストロを辞めてすぐ、1980年3月43歳の時、野毛に「papa john」というバーをオープンしました。

島村さんはジャズへの造詣がとても深い方で、若い時から集めたレコードも4,000枚以上あると言ってました。

お店には音楽評論家、作家、メディア関係者、芸能人など数え切れない有名人の方がいらっしゃいましたが、ジャズの名盤を聴いてウイスキーを飲む心地よい雰囲気に浸りながら、みんな島村さんの蘊蓄あるお話や知られざるエピソードを聞くのが目的でした。

一度行くと島村さんの虜になってしまい、ほとんどの人がサントリーの角をボトルキープしてしまったものです。

papa johnのレコード棚
papa johnのレコード棚

お店の看板には「ジャズと演歌 papa john」と書いてあり、何故演歌?と思われたでしょう。

島村さんはジャズ博士の異名を取るほどのジャズ好きでしたが、実は演歌も大好きな方でした。

・・・と言ってもかけるレコードは美空ひばりだけ。

美空ひばりが日本の最高の歌手だと断言するくらい、心の底から愛してたようでした。

同じ横浜生まれで歳も一緒だったこともあり、思い入れもあったのでしょう。

レコードもシングル盤を含め全部もっていると話してました。

テレビ関係者も多くいらしてたので、美空ひばり特集のテレビ番組にゲストとして出演したこともあったくらいの人です。

秘蔵のレコードを聴かせてくれ、美空ひばりを熱く語る表情は今でも忘れられません。

島村秀二さんと奥様
島村秀二さんと奥様

1980年3月のオープン時から二人三脚で一緒にやってきた奥様は2004年頃お亡くなりになりました。

島村秀二さんと息子の研一さん
島村秀二さんと息子の研一さん

島村さんは2008年2月14日のバレンタインデーに70歳で亡くなられました。

2月17日のお通夜の前日まで研一さんにリレーされて、オープンからまったく休まず、なんと28年間10,188日連続営業という前人未到の大記録を打ち立てたのです!

今でも研一さん(ケンちゃん)が2代目として一人でお店を守っています。

ひょうきんでシャレが上手で、そして音楽については誰よりも熱かった島村さん。

音楽も生き方も「粋」が大切だと教えてもらいました。

「人生楽しくやらなきゃ~意味がねえぞ!」

「人生楽しくやらなきゃ~意味がねえぞ!」

 

 

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