よこはま物語 その15
京浜東北線 石川町駅南口の1本裏通りにあった「洋食の美松」
19歳の時、元町1丁目にあるウチキパンの裏のアパート(風呂なし四畳半一間で家賃が一万円くらいでした)に引っ越してきました。
それまでは西武池袋線の中村橋という大学に近い所に下宿していましたが、横浜でのバンドや弾き語り(クラブやナイトクラブです)に専念するため、大学2年生の1学期終了時に休学届けを出して、ここに来ました。
元町そして外人墓地の真下という憧れの場所にいたいというだけで来たので、手頃な値段の食堂がまわりに1軒もないのがわかり、石川町駅の方まで散策していたら、「洋食の美松」が目に留まったんです。
美松の定番、デミグラスソースのポークカツ
まだ給料を貰う前で、財布の中には寂しいくらいしか千円札が入ってなかったので、少し躊躇しましたが、ショーケースに並んでる美味しそうなサンプルの誘惑に、僕の空腹は簡単に負けてしまいました。
ここで初めて食べたのが、写真のデミグラスソースのポークカツと大盛ライスです。
今でもその時の衝撃的な美味しさは忘れられません!
このデミグラスソースがしつこくなく何とも言えない優しい味なんです。
ポークカツもメンチカツもポークソテーもハンバーグもオムライスもこのソースなんですが、またすぐに食べたくなってしまうんです。
このアパートにいた半年間、夕方お店に行く前と土日のお昼毎日のようにお世話になりました。
そのあとも30歳くらいまで月に数回通い続けた大好きな洋食屋さんでした。
右から2代目オーナーの平野幹弥さん、娘さんの匡身子(まみこ)さん、奥様の桂子さん、親戚の松島喜美子さん
「洋食の美松」の創業者はニューグランドホテルの総料理長を務めていた方で、1960年か1961年に開業されたそうです。
僕が最初に行った時はもう平野さんがオーナーで、奥様とお二人でやってました。
その後娘さんも手伝うようになり、家庭的な雰囲気と良心的な値段、そして伝統の味を守り、1日もお店を休まず続けてこられましたが、2015年に閉店されました。
平野さんご夫妻には心より感謝申し上げます。ありがとうございました。
ディスコ「ASTRO」の入口
いきなり変わりますが、1969年に元町商店街入り口近くの地下にできたディスコ「ASTRO」です。ここは生バンドでした。
ASTROの出演バンド
ここで演奏していたフィリピンバンドも日本人バンドもみんな相当レベルが高かったです。
出演バンドを何組か紹介しましょう。
フィリピンバンドNo.1と言われていた「スゥナーズ」
時代を感じますね。
さあ最後にASTROの店内をご紹介しましょう。
なんと懐かしいゴーゴーガールも登場しますよ!
10年以上生バンドのディスコで頑張りましたが、ASTROも時代の波には逆らえず、1980年頃にはお皿を廻す普通のディスコになり、80年代中旬に閉店してしまいました。
野毛のバー「papa john」オーナーの島村さん
次回はASTROに深い関係のあった、「papa john」島村さんのお話をさせていただきます。