よこはま物語 その12
関内の相生町3丁目にあったイタリアンレストラン「オリジナル・ジョーズ」です。
1953年に中華街で開業して、1967年にここに移転しました。
1981年にリリースされたエディ藩作曲・藤竜也作詞の「横浜ホンキートンクブルース」の中でも『飯を喰うならオリジナル・ジョーズなんて』と歌われています。
エディさんだけでなく、松田優作、原田芳雄、柳ジョージ、宇崎竜童など多くのミュージシャンが唄っているので、曲もこのお店もご存じの方はたくさんいらっしゃるでしょう。
残念なことに、2011年10月に閉店してしまいました。
僕は25歳から10年ほど、このお店の裏にある古いマンションに住んでいました。
実は、今の女房の部屋に、都合がいいので転がり込んだようなものです。
27歳までは平日夜7時から朝まで関内周辺で演奏していて、その後関内にあるディベロッパーの会社に就職したので。
そこでも朝から夜遅くまで働いていたので平日はこのお店に行けませんでした。
ですので、土日にここに行くのがとても楽しみでした。
入口を入って左側にあったバーカウンターのバーテンさん、そして中華街時代からのベテランウエイトレスさん達、(若いウエイトレスさんは一人もいませんでした)本当にありがとうございました。
「オリジナル・ジョーズ」の店内
ここのピザは丸です。少し薄い生地のマルゲリータが大好きでした。
オリジナル・ジョーズ隣りの「レストランぷらむ」
このお店も1967年からある町の洋食屋さんです。
20代の頃からとてもお世話になったお店です。
ここのポークソテーが大好きでした。
うれしいことに創業者ご夫妻のお孫さんが頑張ってやっています!
今でもたまにポークソテーを食べに行きます。
きれいになった「レストランぷらむ」の店内
オリジナル・ジョーズの並びにあった「山田ホームレストラン」
このお店も1967年から営業を続けてきましたが、2017年ご主人の山田利一さんがお亡くなりになったため、閉店してしまいました。
ここは常連になると何でも作ってくれる食堂でした。
この脇の路地を入った所が住んでいたマンションの入口です。
ずっと変わらなかった「山田ホームレストラン」の店内
その他にもたいへんお世話になった、今はない山下町から関内周辺の町の洋食屋さんをご紹介いたします。
山下町の消防署並びの2階にあった「バンビ」
日本大通りと本町通りの交差点にあった「セントラルグリル」
馬車道の関内ホール向かい側にあった「ポニー」
横浜公園・平和球場(現横浜スタジアム)の向かい側にあった「梅香亭」
ここは大正12年創業の、横浜で一番古い洋食屋さんです。
梅香亭創業時からの看板メニュー「ハヤシライス」
20代の頃お世話になった町の洋食屋さん、本当にありがとうございました。