よこはま物語 その9
この写真は1960年か1961年の「港が見える丘公園」ができる前の景色です。
この小高い丘から目の前に見えるのが山下埠頭です。
ちょうどこの頃に僕の親父は日本鋼管から日本海事検定協会に移り、この港が仕事場になりました。
山下埠頭と同じ1962年に「港が見える丘公園」は開園しました。
1947年平野愛子が唄った流行歌「港が見える丘」が名前の由来です。
幕末から明治初期、この「港が見える丘公園」エリアにイギリス・フランス両軍が駐屯していました。
この写真の目の前がフランス軍が駐留していたフランス山地区で、写真の後方がイギリス山地区になります。
フランス山地区にはこれと言った観光名所はなく森だけです。
1859年青木屋忠七が始めた清水屋という西洋洗濯業の「クリーニング業発祥の地」の記念碑や1864年にオープンした「横浜ボウリング発祥」の碑があるくらいです。
それに比べ、イギリス山地区には歴史的建造物や庭園があり、この公園の観光名所になっています。
まずは、1937年にイギリスの総領事公邸として建てられたコロニアルスタイルの白亜の洋館、イギリス館。現在はコンサートホール、会議室、一般公開の展示室として利用されています。
イギリス館
1989年に、横浜市政100年、開港130年を記念してバラが「市の花」に制定されました。
そもそもバラはイギリスの国花でもあるので、イギリス館のあるこの地に150種類1200株のバラが鑑賞できる「イングリッシュローズの庭」が1991年に開園されました。
イングリッシュローズの庭
また、1927年に建てられたスパニッシュスタイルの西洋館「山手111番館」もあります。
この地下1階は「ローズガーデンえの木てい」というスイーツカフェです。
山手111番館
そしてイギリス山地区の隣は、近代文学館地区になります。
1978年開館の「大佛次郎記念館」と1984年開館の「神奈川近代文学館」があります。
大佛次郎記念館
神奈川近代文学館
この公園から少し歩くとすぐに「山手ゲーテ座」があります。
1885年に、生の西洋演劇に触れることができる当時唯一の商業劇場として「ゲーテ座」は誕生しました。
その跡地に、1980年学校法人岩崎学園・横浜洋裁学院の創立50周年記念事業の中、服飾関係の博物館として「山手ゲーテ座」(岩崎ミュージアム)は建てられました。
現在は絵画や工芸の企画展を開催したり、クラシックを中心にしたコンサートを行っています。
山手ゲーテ座(岩崎ミュージアム)
このゲーテ座から左に少し歩くと横浜外人墓地が見えてきます。
横浜外人墓地 山手門
横浜外人墓地
1854年、2度目のペリー来航の時、マストから転落死した若い水兵の埋葬地として、ペリーが海の見える場所を幕府に要求。その後も外国人死者がその付近に葬られ、この地が外国人専用の墓地として定められました。
山手十番館
外人墓地の目の前に、1967年、明治100年を記念して建てられた洋館のレストランです。
とんかつの「勝烈庵」の十番目のお店なので「山手十番館」と命名されました。
横浜山手聖公会
外人墓地を右手に少し歩くと左側にノルマン様式の聖堂が見えてきます。
1931年に建てられた「横浜山手聖公会」というプロテスタントの教会です。
ここを左に入ると、北原照久の「ブリキのおもちゃ博物館」と「クリスマストイズ」があります。
山手234番館
「横浜山手聖公会」の先にあるのが、1927年に震災復興事業として建てられた外国人向けのアパート「山手234番館」です。
えの木てい
「山手234番館」と同じ朝香吉蔵の設計でやはり1927年に建てられた洋館です。
現在は「えの木てい」という女性に大人気のカフェです。チェリーサンドが有名です。
エリスマン邸
「えの木てい」の向かい側にある公園が「元町公園」です。ここに1926年に建てられたスイス人貿易商フリッツ・エリスマンの邸宅「エリスマン邸」があります。
僕が中高の時、学校の帰りに元町公園に来てよくフランス文学の本を読んでいました。
でも本当の目的は片想いの女の子を一目見ることでした。
横浜雙葉学園
僕の憧れの女性がいた横浜雙葉学園です。
ベーリックホール
横浜雙葉学園の向かい側にある洋館が、1930年に建てられたイギリス人貿易商バートラム・ロバート・ベリックの邸宅です。
現在は「ベーリックホール」という名称で一般公開されています。
さあ、しばらく歩いていきましょう。
カトリック山手教会
1933に建てられたカトリック山手教会が見えてきました。
この教会はユーミンの結婚式でたいへん有名になりました。
フェリス女学院
1870年、アメリカ人宣教師メアリー・E・キダーが創立した日本で最初の女学校「フェリス女学院」です。
僕の大好きな作詞家 安井かずみが通っていた学校です。
さあ、もうしばらく歩いてみましょうか。
山手イタリア山庭園内 外交官の家
山手イタリア山庭園内 ブラフ18番館
イタリア山庭園は、1880年~1886年にイタリア領事館があった場所に1998年開園しました。
その見事な庭園の中に、1910年渋谷区南平台町に建てられた外交官 内田定槌の邸宅を移築した「外交官の家」と、1924年山手45番地に建てられたオーストラリア貿易商バウデンの邸宅を移築した「ブラフ18番館」があります。
今回はクリスマスも近いので、女性の永遠の憧れ、横浜山手地区をご紹介いたしました。
ここは僕の青春を形作ってくれた大切な場所でもあります。
どんなにMM地区が栄えても、やはり横浜の一番の魅力は山下地区から山手地区のエリアにあると思っています。
前回のホテルニューグランド本館も今回の洋館や教会や公園も永久に残っていてほしいですね。