偉大なる音楽家ジョン・レノン No.11
アルバム「HELP!」の発売後ほどなく3回目のアメリカ・ツアーを開始しました。
8月15日~31日までの約半月間に、いままでの観客動員数を塗り替えるコンサートをいくつも行いました。
この期間中にジョンは憧れのエルビス・プレスリーと会うのです。
8月27日ビバリーヒルズのプレスリー宅をジョンは訪問しました。ただ、この時すでにジョンソン大統領によるベトナム戦争が激化してたので、ジョンはプレスリーにベトナム戦争を批判する発言をしたところ、愛国精神が強いプレスリーはひどく気分を害し、ジョンソン大統領に直接電話で、ジョンのことを「あいつは狂ってる。危険人物だ。アメリカから追放した方がいい。」と話しました。このことが原因で、後のアメリカ国外追放に繋がるわけです。
そして、この年の10月26日バッキンガム宮殿でビートルズはMBE勲章を授与されます。イギリスの外貨獲得に大きく寄与したことが理由でした。
最初ジョンは勲章を受け取るつもりはありませんでしたが、ブライアンから「勲章をもらうことに異議があっても、まず受け取らないことには何もできないぞ。」と忠告され、渋々受け取ることにしました。
ジョンの中にはビートルズの活動に対する疑問と抵抗がますます膨らんでた頃であり、ポールとの意見の対立も激しくなってきた時でもありました。
そんな状況の中、その年のクリスマスシーズンに間に合わせるため、10月12日から11月11日までのたった1ヶ月でレコーディングされたアルバムが「ラバー・ソウル」です。
セッションが始まる10月12日になってもほとんど曲ができてなかったのに、たったの4週間で14曲のオリジナルを作ってしまいました。(B面5曲目のウェイトだけはHELP!の最終セッションでレコーディングしたものにオーヴァーダビングをほどこしたものです。)
そんな短期間に作ったにもかかわらず、革新的なポップミュージックの名曲の数々を産み出しました。
まず、A面2曲目の「ノーウェジアン・ウッド」。この曲で初めてシタールというインドの楽器を使います。弾いてるのはジョージですが、ジョンがどうしてもこの曲に使いたいと考え、拍数とギターの伴奏をシタールに合うよう考案しました。拍数は8分の12拍子で、リズムギターはアコースティックのみ。ボブ・ディランやザ・バーズのようなフォーク・ロックで田園風景を感じさせる曲調に、シタールがより広大で深淵なイメージを醸し出してます。
余談ですが、このときジョージは、ギターと同じ西洋音階のチューニングで弾いてたそうです。
次に、A面4曲目の「ひとりぼっちのあいつ」。この曲はジョンの心の内面を歌った曲です。自分がこれからどこへ向かうのか模索していたのが感じられます。でも、ハーモニーの素晴らしさは絶品です。4度から3度そして6度の展開のハーモニーを出だしから披露してくれます。
もうひとつ特筆すべき曲は、B面4曲目の「イン・マイ・ライフ」。ジョンが育った街ペニー・レインそしてスチュアート・サトクリフやピート・ショットンらの親友への思いが綴られた名曲です。(後にポールが対抗してペニー・レインを作ります。)なんとも風情がある曲で、25歳にしてジョンの集大成と言えるでしょう。また、アルバムの象徴的な曲だと思います。
アルバム・タイトルはイギリス風R&Bを表現したとかローリング・ストーンズを揶揄ったプラスティック・ソウルから捻ったものだとか言われますが、ラバー・ソウルはビートルズの心・魂そのものを表現してると思います。
初期のビートルズとは違う大人になったビートルズを感じさせ、今後の方向性を確立させたアルバムとも言えるでしょう。
僕にとって、最高に好きなアルバムです。